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- 津留(中世)とは
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津留(中世) 南北朝期~戦国期に見える地名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】下荘中村薬丸名のうち八坂川の下流域右岸,同川が蛇行してW字状の河道を描いて流下する西側の北方湾曲部の氾濫原のあたりと推定現在の杵築【きつき】市大字中の中瀬【なかぜ】の東側河岸を下津留というこの付近に比定康永3年7月6日の八坂下荘中村内忠氏知行坪付注文案に,薬丸名の畠地分のうちに,「□(一)所半 下津留〈南依〉」とある下津留は,津留の一部分ではなかろうかこれが初見(秋吉文書/大友史料6)応永元年1月の八坂下荘薬丸・秋吉両名和与状写には,「豊後国八坂下庄之内薬丸・秋吉両名田畠屋敷山野荒野塩浜等各半分宛之事,……爰萩原・木古志・山崎・久保田・筒井・森前・津留所〻之事」と見える(同前9)元文6年3月15日の八坂下荘薬丸名坪付注文に,畠地分として「〈津留畠〉弐反」とあるのが終見(同前17) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」